紅井切腹日誌・磔刑プラン付き☆ぜんぜん参考にならない入退院マニュアル
- ところどころに写真入り -

■ご閲覧の前に
 笑いあり若干誇張ありですが、ワリとリアルな入院日記ぽいモノですのでご興味ありません方はスルー推奨、体験談的読み物または近しい病状で入院予定の方等「ぜんぜん参考になんねぇ紅井入退院マニュアル☆」(←ヲイ) として、よろしければユルくご覧くださいませ。
 グロい表現はございませんが通常レベルの人体、患部・下腹部・痛みや排泄等についての具体的言及等、当て字含めございます。また文章内に出ます症状・治療・術式・医師とのコンセンサス・院内規定等、個人や病院によりかなり異なる場合あると思われます。なるべく祖語・誤解等生じないよう書きますが、以下記述をスタンダードとご判断・ご理解なさいませんよう、あらかじめご了承ください。まぁ要は紅井の入院顛末はこんなんだったんだ? 的に楽しく読んで頂けましたら幸い (^D^。)。

■2011年6月15日 14:00〜
 入院。夜9時まで食事OKだったので頂いて、いつもの昼夜逆転から寝ないで行ったので夜は案外爆睡。入院時個室希望しましたが空きがなく取れなかったので最初は2人部屋、お隣ご婦人は睡眠時無呼吸症候群のようです、既にイビキの域越えてる。よく眠れたな私……、何度か起きたましたが。多分ご本人だけが気づいていないのでしょう。いや、でもこれはもう要治療の域だと思うのですが。。。看護士嬢らが非常に気遣ってくださり深夜に及ぶも「大丈夫? 大丈夫?」と1時間おきに見回り来てくれました。睡眠は取れても度々起きてしまったのは、やはり爆発的に突然始まる婦人の鼾に寄るモノでしたが (^^。)。
 ちなみに爪の長いひとは手術室には入れてもらえないそうで、いつもがんばって整えている爪をパツンパツン全部切りました、ちょっとしょんぼり。つか長年爪の長い状態がデフォルトでしたから短くなるとキーボード打ち難い。。。いつもより5、6mm 程遠くなった間隔、打った筈の場所にキーがないつう慣れない距離にスコッと外し早撃ち出来ません。元々 Mac ちゃん、ラップトップではなく独立のキーボードでもキーの高さ2mm ないうえ異様に軽いので指で辿る質感は僅か。しばらくは打ち難いことでしょう、とほほ。
■16日 9:00〜
 最近のお艦長サマは軟膏タイプで注入したら即です、ぶっちゃけ病室でなく現場 (おトイレ) で施工して頂けると助かったのですが……。お尻モジモジさせながら廊下突っ切る紅井にチョットだけ感情移入プリーズ、この間のなさ、最初に言っといてよ〜 Σ( ̄口 ̄)。
 朝9時半から手術です。ドラマみたくストレッチャーで「が、がんばるのよ!」ひしっ!(と手を握り) 的感慨もなんにもなく自分で歩いて手術室へ「あ、どぉもヨロシクオネガイシマス、え? 髪って横留め? 髪留め持って来てないヨ (←手術室の看護士嬢にゴム頂き)、(家族に) ぢゃ、あとでね〜」紅井予測では、術中はシャワーキャップのようなモノを被せられると思っていたのですが。
 案外広く (学校の小さな教室ひとつ分くらいあって) 酸素ボンベとか並んでいて雑然とした手術室。ど真ん中に座した手術台は驚くことにベッドタイプではなく、しいて言えば『大』の字型 Σ(゚ロ゚;)、要は執刀医は紅井の股の間に立って腹を切りやがるワケです /( ̄□ ̄‖)\。今までドラマとかで見てきた手術の風景は皆横に立ってやっていたハズ、これって、えっと、帝王切開のお嬢さんなどが乗るのと同じ手術台ってコトですか? そう考えれば納得出来ますが、正直超びっくりです、思ってもみなかったよ (^^。)。
 そして「はい寝てくださぁ〜い」術着剥かれ素っ裸に紙かけられ「はいはい手首縛りまぁ〜す」ってソフトなベルトタイプの手枷 (ターミネーター2でサラが精神病院で填められていたのと同じやつ) を填められ、、、カエルの磔刑 (ハリツケ) かよ!「ぅあ鼻の下カユいっ! 今、無性に猛烈に掻きたいっ!」と思っても既に手遅れ「はい麻酔かけたら眠ぅ〜くなりますよ〜ぅ」←敢えて言うんかい。つか間延びた発音はリラックス効果よりむしろイラつくわい。でも準備は素早い、周囲の方々皆ワラワラ動く様子が目の端に映って、手術室って割と騒がしいのね? つか若者率高くね? (スタッフに年配ひとりもいない、執刀医以外皆 20代とか?) などと思っているうちに覆い被さって来た麻酔医、お、結構イケメ……「ン」に辿り着く前に、カックンと落ち申した。なんなのこの麻酔の効き目の素早さは。文字通り瞬殺 Σ( ̄口 ̄)。
 そういや15日に同意書持って説明に来た麻酔主任は、このイケメンと違って若いのに (40そこそこ) 見事なツルッパゲだったっけ。趣味で (←ヲイ) お坊様みたいなテカテカにしていたっぽいですが。その主任の術前説明で、よくは憶えていないのですが全身麻酔時は口腔になんだか突っ込むらしく (挿管?)、歯が欠ける場合があるがその時は歯の方を犠牲にするとかなんとか言われたような気が……。いや結果的に歯は無事だったのですけれど、差し歯とか入れ歯ありますか? と聞かれ、つか入れ歯はないでしょうさすがに。
 話逸れましたが、そんなワケで自分的に手術室で過ごした時間は3分切ります (実際は3時間超え)。だから次の記憶は、、、
■17日朝方〜
 朦朧、そして喉の乾きに唸りました。手術直後は「痛いよぅ〜痛いよぅ〜痛いよぅ〜」と連呼していたそうですが、すっぱり澱みの彼方 100% 記憶にございません、というかそもそも痛かった記憶もまったくないのだけれど。紅井母的には「聞いてるコッチが痛くなった」そうで。しかも一回だけ「 "お母さん" 痛いよ」と言ったと自慢げにノタマっておりました、あはは。紅井は仕事の時のヘンなこと、例えば「今回のデニたんは横ハメで☆ 69はマダ早いわね! ぶふふ」とか口走っていたらばどうしよう、恥ずかし過ぎねぇ? とかそんなことを思っていましたが (←ヲイ)。そして次に言ったのは「今何時、水」これは記憶しています。
 水を口に入れられ「出してね〜飲んじゃだめよ〜」と言われ、看護師コレ神の如く「見ろ、だが触れるな。触れ、だが食うな。噛め、だが飲み込むな」失楽園のリンゴちゃんね、麻酔効果か素直に水を口から出してしまえたところが紅井不思議ちゃん。
 点滴に強力な痛み止めを盛られたらしく (きっと痛い痛い連呼されているのがウザかったに違いない)、昼には朦朧としているのは変わらないにしても何故か何処も痛くも痒くもなく、ヘラヘラ笑いながら、ろれつの回らない舌で「しぇんしぇ (先生)、しゃしんしゃしん」とか言って担当医を激写していました私 (←何者)。そして、尿カテさくっと抜かれて早速歩行開始、点滴スタンドをコロコロ引っ張りというかスタンドに縋りつつ動きは正直カメより遅いです、おトイレ行くなら行きたくなる前に行動に移らないと間に合いません。まるでイベント会場 (長蛇列処世) のようです ←ヲイ。つか尿カテって痛くも痒くもなかったのですが、あのプレイって字面や絵柄で見る程楽しいのか? ネタ試用となると要再考だな (←ヲイコラ)。
 担当医が広範囲の癒着をゴスゴス引っ剥がしたと言っていましたので、そこらが引き攣れるのか、つか弄り倒された腹内のモノがそれぞれ自分の新たな居所を探しているのか、深夜になって上半身全部が痛く、痛みについて言えばこの夜がいちばん痛かったかも。腹を庇って起きようとするから腕・肩が超絶筋肉痛、、、のレベルでは既になくクチから狂犬病の犬の唸り声みたいなモン吐いている状態で、筋肉は痙攣レベルに近く、しかもアバラと背中も痛く、イメージ的には身体中の筋肉という筋肉が、まるで親の敵のように下腹部に向かって一斉にケンカ吹っかけているような緊張度とでも申しましょうか。恐怖! 息吸う度激痛走るから「い、息が出来ないっ! 死ぬるぅ〜!」窒息寸前でナースコールぶしっ! あんまり私が痛がったからか深夜に担当医が駆けつけてくださり、すぐに処置。つか先生「どしたのー!」と言いザマ、カーテンをスチャー! と片手一投で全開 (あのカーテンってレールが異様にスムースなのね、曲がり角もシュワーっと)。で、眼前に現れた担当医、窒息しかかっていた紅井には駄馬に股がって現れた恰幅王子でございました (シュレ○ク?←コラコラ)、ぶっちゃけホレたよSっち! あの時キミは正義の味方だった!!
 最終的には強めの痛み止め坐剤突っ込まれマジもんでバッタリ気絶しました、とほほ。つか要は切腹傷自体は殆ど痛んでいる自覚なく傷を庇おうと他の機能が全て腹に向かってきた事による激痛だったとかいう結論? お隣ご婦人の比ではなく、その時の紅井は周囲に大迷惑だったと思う。この日は絶食指定でしたが、口にモノ入れることすら思いつかなかったってば。。。

▲担当医・ご本人に了解取っていないので顔面モザイク Σ(゚ロ゚;)、そして血が逆流しまくった点滴のコック?
■18日、
 前夜の窒息騒ぎが、まるでなかったかのように超絶回復、恰幅王子の威力はスゴかった。
 日中1日3回のお散歩を義務づけられ、その辺をのたのた歩き始めてエリちゃんというお嬢さんとおトモダチに。同日手術だったらしく「今どんな感じ?」が毎回出会い頭のご挨拶です。「出た? ガス出た? え? オシッコの時引き攣る? だいぢょぶアタシもアタシも!」とか。
 この日ようやく個室取れたのでお引っ越ししたらば、マズいコトに鼾 (いびき) 婦人は今度はエリちゃんのルームメイトに。疲れた顔して携帯OKスペースに避難しまくっていた彼女を手招きして「大丈夫?」と言えば何のことか直ぐに理解したらしく泣きそうに縋られ。てかエリちゃん美人さんで紅井クラリ (←ヲイ)。ご婦人、決して悪いひとじゃないのですよ田舎の明るいおばさん的な、とにかく出会った相手を離さない、寝てりゃイビキで起きてりゃひっきりなしに喋ってます状態で。看護士さんの方が判ってらっしゃるので直ぐに相談した方が良いと話したり、ちょこちょこ井戸端会議& (まだ食べられない) お菓子差し入れ合ったりしてちょっとずつ回避策です。
 夕方から食事開始・重湯 (というモノを初めて食しました、障子紙接着用のノリを更にお湯で溶いたみたい)。でも正直水以外腹に入りません。2、3クチ飲んだらもうギブ、お腹が空かないどころか膨れあがってこれ以上入りませんという感覚、食べてないのに。この晩の重湯メニューは結構可笑しくて、重湯・マンゴー (を磨り潰したようなユルいペースト)・コンソメスープ (のようなモノ)・ポタージュ (のようなモノ) ・脱脂粉乳 (のようなモノ) 計5点。一応クチに入れなきゃと思いひと口ずつ舐めてはみたものの撃沈、それ以上はイケませんでした。
■19日、
 わりかし快調です。ベッド寝起きの要領も掴み、パ〜ラ〜マァウ〜ンント〜 (←CMの節で) 電動ベッドは今更ながらスゴい発明品と実感。でもこのベッドは腹筋には優しいけれど、楽過ぎて紅井をダメにするわ! と、なるべく使わない方向で。でも、だから腕使って起き上がっていたのが悪かったのか点滴に血が逆流、チューブが 50cm 程ドス黒くなってしまい驚愕 Σ(゚ロ゚;)。
 ところで、この歳まで健康優良で来た紅井の入院感は至極ステレオタイプ。入院と言えば中庭で車椅子の老人がマッタリ&小児科の子供らが看護士さんと「うふふあはは♪」とか、屋上ではハタめく白いシーツの影に隠れたベンチで脚を石膏で固めたキンパのヤンキーがちょっと一服、そういったコトに遭遇出来るかと軽く楽しみにしていましたが、そういやコチラ敷地内全面禁煙&喫煙者即時強制出所の掟、しかも新社屋完成まであと一年、窓から見えるのは一面の重機群と工事現場&働くおニィさんたち。屋上出禁、芝生の中庭なんか一坪もナシ、あるのは継ぎ足し旧社屋の間の日陰で、まるで畑の如く密生したドクダミだけ?、、、チョットしょんぼり。仕方がないので遠距離新館売店まで毎日2往復です。歩行訓練が欠かせないのは一度ムリくり停止させた腸活動を再開させにゃならんからというコトで。要はアレですねBLに禁句のオ○ラとウ○チ (≧▽≦)。。。

▲新館工事と働くおニィさん。昼間は結構音凄かった、傷痛いひとにはキツいかも。。。
 売店と言えばイタダケネェ点は営業時間が短か過ぎ、、、8:30〜16:00、とか11:00〜18:00てナニ。まぁ水以外買う物も特になくムダにゼリーとか買って売店行脚していたワケですが、偶然ピンクグレープフルーツジュースなるモノを発見、ちょ〜んめ〜! 毎日1本飲んでました。そういえば入院していた時は不思議と煙草は吸いたくならなかったなぁ。。。最終日にチョットだけ「吸いたいなぁ、、、」と思ったけれど、退院するまで自然禁煙でした。退院した途端、あの時のニコチンいらない感はいったい何だったの? というくらい即吸ってましたが (←コラ)。
 そして本日は団体で親戚、と友人が面会に来てくださり差し入れ頂いたりする様は、当にムショでムンムン ←ひとり部屋では無理。談話室にワラワラ移動して楽しいひと時を。
 お食事は朝昼晩で三分粥・五分粥・七分粥、それぞれヨーグルトや牛乳や果物が添えられていますけれど、この日まともに完食出来たのはヨーグルトとマンゴーだけでした。全然お腹減らない。かと言って吐き気等はなく、何かずっと擬似的な満腹状態といった雰囲気です。多分『ガスっ腹』の所為だと看護士さんが「廊下で『ぷー♪』しちゃっても良いから、苦しくても歩いてばんばんガス出しましょう」と免罪符をくれました。しちゃったよ歩きながら&周囲キョロキョロしながら (×_×。)、だって出そうな時に絶対出せ指令!なんだもの、あは (←ヲイ)。
 ちなみに後日調べてみたところS病院は開設50年経っている老舗らしく、つかもうアィ育病院みたく産科専門にしたら? つぅくらい院長婦人科医以下産科婦人科超充実、他の科はブッちゃけオマケっぽくベッド数現在 170床程の総合病院です。医師はほぼ8割北サト大系、不妊治療もバッチリ、院内歩けばあらゆる方向にお腹のおっきなお嬢さん方が 100%の確立で目に入ります。すごいよね、妊産婦見ていると未来を感じます、化粧なんかしていなくても皆美しい。つか都心でもないのに婦人科に専門特化の腫瘍センターがある病院なんて聞いたことなかったけれど (紅井が知らないだけ?)、最初の診療・手術から退院までの流れがしっかりシステム化されていて。近場に必要な専門病院があったことは非常にラッキーだったなぁ、と思います。

▲腹筋に優しい電動ベッド、結構部屋とっちらかしてますね (×_×。)。そしてカメ歩きにはキツい新館への道。
■20日、
 シャワー出来ました☆ 痛みも引いてきましたが、咳はキョーフです&イケてる看護師のお嬢さんが笑わせてくださるので余計痛く、つかこのお嬢さん、ちょうど17日紅井窒息騒ぎの時の担当さんで、あの時の痛みは何だったのかという話になった時「筋肉痛と傷のコラボレェスィオォン?」とかってヘンなフランス語みたいな節つけて、ふはふは笑いながら言いやがるもんですから、一緒になって笑ったら傷痛いんですって!「きゃ〜、それはヤメテ〜」と如何にして腹筋使わず咳と笑いをクリアするかが当面の課題です。つかこのお嬢さん、それから会う度ふはふは言うし、どうもツボにされたようです。だから紅井も廊下とかで会う度「だからヤメテ〜」とかって、周囲の方々みんなキョトン。
 他の病院は知りませんがS病院の看護制度は昼・深夜2シフトで部屋充てに看護士さんがふたりついて、それとは別に朝・晩の検温・血圧測定・排泄管理担当もいて、昼の現状ヒアリング担当さんも別にいて、日に3回のお食事担当の看護士さんもそれぞれ別なんですね。だから1日最低でも8人と顔を合わせます。加えて寝具担当の従業員さんと毎日のお掃除担当のおばちゃんと、皆さんサクサク明るく走り回ります。お食事担当で驚いたのは、その日の患者の献立と残した物・量をすべて把握しているの、びっくりです。「昨日の晩ご飯おかず苦手だった?」とか「果物はお腹いっぱいで苦しくても食べてね、今駄目だったら取っておいて後で食べてね」とか「昨日よりは白米量食べてたよね」とか必ず声かけられるの。トレーを下げた時に器の蓋ぱかぱか開けて見ていたのを見かけて「何やってんだろ?」と思ったのは、全員の残量を一覧チェックして共有していたみたい。「夜少し熱高かったから、今日はお水多めに呑んで」とか「ウンチどう? きた? 昨日も出てないよね? そろそろマズいか、ガスは何回くらい? 明日来なかったら先生にお薬処方して貰おうね」とか芸が細かい感じ、ちゃんと把握してくれているんだなぁとチョット感動してしまった。日に何度も違う看護士さんから同じことを訊ねられる時もあるけれど、自分でもちゃんと認識出来るから良い感じ。排泄数のチェック表も持たされますが、これって正の字でチェックすると結構楽しい (←ヲイ)。ていうかこの時点でガスはOKなのに肝心のお通じがちっとも来なくてお腹ぷっくり張ってしまい相当苦しくなっていたのです、でも傷が怖くて踏ん張れない (×_×。)。

▲19日の朝と20日の夕暮れ。縦に大きい変わった雲です。梅雨時なのに雨あまり降らなかったっぽい。
■21日、
 ここ数日腸が動いてくれなくてホント苦しいです〜。どうあってもダメなので20日からお薬に頼ったら、ユルいヤツって先生言ってたクセに、なんつー強力に繰り返し襲い来たりなば赦すまぢ〜。お陰で未明よりお通じ4回、根こそぎ体力持って行かれ下半身ダルダルでネーム作業は未だムリ。悔し紛れに排泄チェック表にカワイイうんち絵いたずら描きしたら、看護士ちゃんたちが来る度見てウケていたので調子に乗って可愛いおシリも描いてしまった。
 しかし人体というモノは何だかんだ言って原始的というか直情的と思います。健康管理の基本は、とどのつまり入れるものと出すものの全体像把握に尽きると申しますか。猫と一緒ね、ってちょっと乱暴な話ですが食わなきゃ傷が治らない、出さなきゃ健康維持出来ない。無理にでも食べてお通じ来た翌日は体調良くなるのが手に取るように判ったワケです。昨日より今日、今日より明日の方が歩くのも楽、毎日同時刻に歩行訓練していると如実に手応えがあります。
 夕方はお見舞いのお友達襲来。体調戻ってきたので楽しくお喋り、笑うとまだちょっと腹に響くけれど気分が明るくなるのが自分でも解ります。顔見せに来てくれるだけで嬉しいね☆
 そういやS病院、白い巨塔的ご大層なお教授回診とかはまったくなく (たけしの番組で世間的に有名になった上ボゥ教授が来るのかな? とかチョットだけ興味はありましたが)、それより驚いたのは執刀医 (=担当医) が毎日、朝晩状態確認と傷の消毒に来てくれることです。ティーチング・ホスピタルだし消毒なんかインターンとかが来るのかと思っていた〜。つか紅井の腹はヘソ下が通常より少し狭いらしく、ヘソ脇まで開腹を若干湾曲させたことと、傷最下部にチョット脂肪多くなかなか皮膚再生しないようなので、それを気にしてくれたみたいなのですが。それにしても看護士さんたちといい担当医といいフットワーク軽いです。担当医家帰ってんのかな、、、と心配するくらい朝は6時には来るし深夜までいる時もあるし、いつ見かけても競歩移動しているし、病室来る度着替えているのと (多分シャワーで) 髪濡れているのは、毎日どんだけ手術してんですかアンタ的な。まぁ医師としていちばん脂の乗った年齢なのだと思いますが。
 担当医について、実は紅井、初見はちょっと気に入らなかったのです (←ヲイ)。恰幅いいけど威厳が感じられず軽いというかちょっとひとを小馬鹿にしている? 風に感じて。後になって小馬鹿云々は決してそうなのではなく親近感持ってもらおうとしていたようなのですが。その当初の印象は、今考えてみると医師に対してというのではなく紅井の方が、女性特有の子宮筋腫という病気について知識と実感がまったくなかったことに端を発した不信というか不安、そんなものだったように感じます。そこを軽く接せられたことで一瞬ムッとしちゃったというか。。。
 あと、なんというか包容力の誤った発現というか、紅井の年代の女性は子供がいて主婦で仕事は片手間にやっていて、男性にとっては守られるべき存在なので僕はあなたに優しく接しています的な意識が彼の抱擁性として現れている感のある発言が最初の頃ちょこちょこ見受けられて、更にちょっとムッとしてしまったというか (←可愛くないですね紅井) (^^。)。殆どの場合、医師が応対する女性はこのタイプでしょうが、つかそれって仕事をしている主婦の方にも凄く失礼な考えと思うのだけれど。「片手間で仕事やってんじゃねぇや!」と殊更に主張するワケにもいかないですが、私の職業は特殊というワケで、まぁ致仕方ないですね。ですが病院に通ってコンセンサスが形成されていくうちに担当医の方が、このひとはどうも特殊な「(敢えて) 生活」をしているらしいと思ったのか、少しずつ対応が変化していき、最終的にはとても円滑な関係を築くことが出来たように思います。つか向こうも正直非日常的お客さんで驚いていたと思う (^^。)。
 そんなワケで、まずは自分の腹の中に対する不安を払拭しようと複数の友人等に相談し、診断の確信を得るために途中別の病院 (東京I大) でセカンドオピニオンを受け、いろいろ考えてS病院に戻ってからは、ここでやって頂いて良かったと、今は信頼感を以て思います。つか担当医、恰幅いいから指もフランクフルト並みに太く (←初めて見た時びっくりして凝視しちゃったよ、この指で手術すんの? って ←コラ)、なのにそれでいて非常に繊細に優しく&滑らかに動く様はチョット不思議。話し方もね、婦人科医で女子供が相手なだけあって柔らかく緩やか、ぶっちゃけちょっと可愛らしいしゃべり方です。
 この病気・子宮筋腫って女性の3人にひとりは腹内に持つと言われていますが、これと言った原因はよく分かっていないらしいです (予測される幾つかの素因は有り、ウィキとかに載っていますのでご参照)。担当医が言うには「ホクロをイメージしてもらうと近い、いつどこにどうやって出るかは予測がつかない。コレをしたからこの病気になるとか遺伝とか、そういうモノでもない」。宇多田○カルや由紀○おりから認知度が上がったとはいえ、チョコレート膿腫や癒着が激しくなければ手術なしの対処療法でもいける場合もあって、しかも女性の下腹部に関する病気ですから憚りもあるのかあまり表に出てこない病名ですよね。紅井従姉も同じく診断されましたが、多発性でなく年齢的なこともあり閉経まで静観すると言っていましたし、聞いてみると友人の中にも「私も持ってるよ筋腫」っていうコが結構多い。私は検診で発見され、あれよあれよと言う間に手術まで熟してしまいましたが、例えば骨折や癌等必ず踏む手術や治療が、この病気ではダイレクトに命に関わる訳でもないこともあり、私の病状でも「手術しない」と当人が言えばしなくても済むワケです (本当は良くないけれど)。ホルモン注射で筋腫を小さくする等対処療法もありますし。だから膿腫破裂とか緊急性ない限りはどう治療するかは自分の意思に寄るところが大です。私の場合腹内の状態は酷かったものの症状としては痛み止めでなんとかなる程度の腰痛や生理時の腹痛だけでしたが、人によっては筋腫の症状に顕著な、倒れてしまう程の貧血や腰痛、日常の行動に差し支える程の不整出血など症状も様々だそうです。自分がなってみて言えるのは、先ずは正確な状態把握と、どこまで治療するかをお医者様に相談しつつ全部自分で決めなければならないということ。医師は、ぶっちゃけ手術を勧めても、有無を言わさず「手術します」とは言いません。だからこういう決断って難しいですよね。そのためにも有名とか規模が大きいとかいう視点ではなく、自分に合う先生と病院を見つけることが大切だと思います。外科的治療だけではない、気持ちの平穏を同時に得ることがとても大事。それは最終的に担当医とのコンセンサスが重要ということですね (^^。)。
■22日、
 だいぶコナれて参りました、ネーム開始です。ってこのために個室希望出したんだから、ちゃんと仕事だってせねば。ベッド起こして座っていると傷が圧迫されて痛いので、仕方なく立ってテーブルの端にネーム用紙出してモチョモチョ仕事です。でも看護士さんや担当医来る度チョット隠したりして。つか恥ずかしかったのは手慰みに、ちっさいウサギのぬいぐるみ持って行っていたのですが、上手く隠していたと思っていたのに消毒の時シッカリ見られていたばかりか振り返ったら肘掛け代わりに使っていた枕の真ん中にチョコンとウサギを座らせてくれていた担当医コノヤロー! 絶句です。いいトシかっぱらってぬいぐるみないと眠れないとか? と思われていたらちょっとイヤ (;´o`)。

▲ちょうどこの視点のトコに立ってモチョモチョ描いてました。
 あんど、本日の歩行訓練は屋内も飽きたので敷地内探索です。材料としては来年竣工予定の新しい建物なんかより来年取り壊し予定の旧館の方が絶対レアと思って旧館周りを外部から激写しまくり、デジカメ忘れず持って来て正解です。病院開設50年、リメイクしてはいても裏手辺りはとても古く、壁や外部に露出した配管等非常に趣がありました。明るい感じはしなかったけれど、気味悪い感じもしなかったのは不思議。


▲何がどうしてこんなことになっているのか見当つかない、外部に張り出しまくっている配管 ('-'。)。
 敷地や建物だけでなく、点滴を交換する看護士ちゃんの手許とかパシパシ撮っていても何も言われないというか、わざわざ手を止めて「おっけー? (撮った?)」つって協力してくださるところなんか皆さんノリ良くて笑った。レンズ向ければボード持ったままポージングしてくれるし (^D^。)。
 心理的にも余裕が出て来て周囲を見渡してみると、病室ってナースセンターに近い程手のかかる患者さん率高くなっているんだと理解。可哀相に一晩中泣いている子供とか、ナースコール連打の寝たきりご老人とか、睡眠時無呼吸症候群のオッサンとか。ちなみに紅井はいちばん遠くから2番目でした。
 ご飯もなんとか食べられるようになったし、でも白米どんぶりメシで半分以上残すのは勿体ないのでハーフメニューを依頼。献立表見たら1日摂取カロリーが1900とかに設定されていてビックリよ、太らせて帰す気ですか Σ( ̄口 ̄)。まぁ完食出来た日はなかったのでアレですが、、、病院食ってよく不味いと言われますけれど、差程でもなかった気が。味は確かに薄く、ご飯も軟らかいです。でも出汁はまぁ良かったかな。711 おでんと同じ味がシタヨ、ヤ○キ使っていたりして。結局最後まで食欲は湧かず結構残してしまっていたし朝はパン食だったから、はっきりとは言えませんが。ただ大好きな野菜、ブロッコリーだけはチョットばってん差し上げるって感じで。サッと茹でるだけのハズのブロッコリーが、どうしたらこんなに不味く茹でられますかっつーくらい水っぽくモニョモニョして酷かった (^D^。)、もしかしたら冷凍モノだったのかも。

▲ちあき似の看護士ちゃんと、また別の看護士嬢。点滴に抗生剤注入の瞬間☆ ぶしゅー!! この写真では差程ではない
ですが、ちょっとオソロシイくらい血逆流しちゃって参りました。たぶん腕力で起き上がっていたせい (^^。)。
■23日、
 でもアレね、入院し慣れていないから (←慣れるのもどうかと) 荷物とか余計に持って行ってしまったり逆に足りないモノあったり、予測つかないとこありますね。
 昔は切ったら一ヶ月と言われていたらしいですが、今や13針 11.5cm 切っても9日で追い出されるって。抜糸なくてホチキスだし消毒は染みないし傷自体4日目くらいでだいたい塞がっていたみたいだし、テーピングしてすぐシャワー行ってください言われるし。技術はもとより道具や薬剤もすごく発展しているんだろうなぁ。
 シャワーと言えば施錠禁止なのですが、律儀に守って脱衣所で脱いでいたところ入院患者の爺さんにスパッと開けられ唖然。入浴中って札見えねぇのかこのクサレぢぢぃ! と一瞬叫んでやろうかと思いましたが、目をしょぼしょぼさせながらドアをパタンと閉められ出鼻を挫かれました。後に廊下ですれ違った時仕方ないから「こんにちは」って言ってやったら済まな気に頭掻いていた爺さん。まぁ、ちあき似の看護士ちゃんに剃毛されたり担当医に指突っ込まれたり (←語弊・触診) しているし、もうスッパリ開き直っているわ、、、とほほ。つかさ、剃毛だけど女性は日頃ビキニラインとか自分で処理しているワケだしワリと慣れているんだから家でやってきてくださいって言われてもOKと思うのだけれど。全体をツルツルにするワケでもなく正面から見える部分だけだったし。手術前ベッドでやって貰う方が片付けとか面倒じゃないのかなぁ、と思いました。つか気になってコロコロ粘着シートくれ! と思わず言いそうになってしまった。
■24日、
 突然ですが、退院です。長いようであっと言う間、看護士さんたちにお礼を言ってラストに担当医診察です。手術内容の詳細説明とエコー&触診、そして写真、さすがにウヒー!! Σ(゚ロ゚;) なプリントでございました。発色の良いぷりぷりとした砂肝的な。しばらく焼き肉とか無理かも。そして退院後の注意など。車の運転と夜の生活はひと月我慢してね、とか。ちなみに紅井卵巣はとっても仲良しだったらしくキッシング・オバリーといって子宮の後ろ側でチューしている状態だったそうです、派手な症例かも? そりゃ痛かったワケだわなぁ。つか、いったいどうしたら子宮の両端に位置する卵巣が、引っ繰り返ってそんな位置まで移動しちゃっているのか誰か教えてください的な。
 帰っても大騒ぎしなければ普通に過ごして良いというか過ごしなさいというコトで、眠る時以外は寝たりせず、ただ戻って安心したのかお片付けしたりメールチェックしたりして動き回ってしまって、特別に何かしたわけじゃないけれどパタパタ動いたせいか存外疲れ、この日は早々にベッドに入りました。メールと言えば、貯まっているだろうとは思っていましたがスパム併せて3000通近く入っていたのにはさすがにびっくり。
 そういや体重、手術したらどのくらい減るかなと思って家出る前計っていったのですね。帰ってワクワクと計測してみたらば、、、見事に取った分しか減ってないじゃん!!!!! 手術時失血+実 (←ヲイ) とキッカリ同じ分だけマイナス。9日間全然食べられなかったし、あんなに苦しんで出したお通じの分とか、もうチョット減っていても良いと思う、しょんぼり。
 そして29日、立って歩くと下腹部が下側に引っ張られるような違和感はありますけれど腹帯で固定して毎日散歩 (癒着防止の歩行訓練)、傷口も毎日シャワーで流して皮膚再生を促す軟膏を塗って、相変わらず身体にムダにチカラ入って背中の筋肉痛は直らないですけれど、術後はまぁまぁ良好です。ちょっと疲れやすくなったかなと思うフシがあるので軽く昼寝もしたりして&入院時食べられなかったせいで戻った後も食事の量が減り、お通じの流れが悪くなってしまってそれも少しキツいかもですけれど。プラスしばらくは電車に乗ったり人が大勢いる場所は打つかったりが怖いので、それらは避けつつ過ごそうかな、とそんな感じです。
 追記退院一週間後、7月1日。通院で傷や腹内の現状確認と、病理検査の結果は問題無し (筋腫は悪性腫瘍ではなかった) ということで取り敢えずホッとしました。
 3月末の検診にて筋腫発覚から駆け足で悩みつつ手術・退院までの約3ヶ月、今後も経過を見つつ先ずはこれまで。年齢的にも病状的にも色々踏ん切りつけながら、結論としてはあまり長く考え込まず決断したことには後悔していません。まぁそんなワケで紅井入退院日誌、もし筋腫についてもうちょっと聞きたいですとか手術について心理的に不安なこと等ありましたら、答えられる範囲と申しますか私はこうだったよ的でよろしければお話ししますし、病院名・所在地、診療の流れ等についても知りたい方にはお教えしますので個別にどうぞ。それでは☆ ご心配おかけ致しました、&ご覧くださりありがとうございました (^^=)。別窓表示故、ブラウザを閉じてお戻りくださいませ。


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